(一社)日本パン技術研究所 原田昌博

(一社)日本パン技術研究所 原田昌博

国産小麦「ゆめちから」について、品種になる前も含めて約10年も関わってきています。その間に色々な事が起きました。それほど、国内産小麦の中でも、この「ゆめちから」に関してお伝えしたい事がたくさんあります。その中でも、やはりここは「いろはの、い」、つまり、「ゆめちから」が品種として登録され、その地位を確立するよりもかなり以前の、その「登場」の場面からお伝えします。

思い返せば、平成17年(2005年)と平成18年(2006年)、育種研究者(当時の北海道農業研究センターの山内氏、西尾氏ら)から私の手元に品種になる前の「ゆめちから」が届きました。平成17年には数kgの系統名「勝系63号」の小麦粉。翌年の平成18年には名前が系統名「北海261号」となって150kgの小麦粉が送られてきました。両方とも「ゆめちから」が品種になる前の育種開発途上で付けられる番号です。

当時、山内氏は品種化に必死になっていたと思います。ブレンド用途で国内産小麦を品種化することなど非常識だった時代です。本来であれば製粉会社や製粉研究所で製パン性評価を受けるのが慣行でしたが、「ブレンド」という特別な手法による品質評価は試されませんでした。このため、ブレンドに適した超強力の「ゆめちから」100%で製パンすると試験の結果は想定通り悲惨な結果で、「品種になるには非常に厳しいスコアだ」と語ってくれました。もしも、私の所に小麦粉が届いてなかったら、今のような国内産小麦パンブームは起きてなかった事でしょう。それを思うと、一般企業勤務時代から九州産ニシノカオリ(系統名、西海180号)やミナミノカオリ(系統名、西海185号)の品種化や普及に関わってきた中で山内氏と出会い、その後、半公的な日本パン技術研究所に転職して、お互いの関係が継続し、「ゆめちから」発祥のストーリーが生まれるという奇跡的な縁に出会う事になったのですから、本当に人生とは不思議なものだと、つくづく感じます。

そこで、当時の2年の間、かなり本格的な製パン試験も行いました。
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この写真を見た事がありますか?これが平成17年に私が行った国産小麦「ホクシン」とのブレンド比率を変えて作った食パンです。これが今の「ゆめちからブレンドによる製パン」を広く知らしめる、非常に重要なデータとなりました。

さらに、当時、ブレンドによる製パン試験では国内初の「大型製パン機械を使用した製パン試験」を行いました。そして、その試験結果は日本パン技術研究所が発行している技術資料にまとめられ、日本中のパン関連業界全体に広まる事になっていきます。これが広く世に出された第一歩となったわけです。

しかしながら、当時、ここまで「ゆめちから」が品種として拡大するとは思ってもみなかった、というのも事実です。その時はまだ「予感」に過ぎず、「確信」にまでは至っていなかったというのが正直なところです。

「確信」に変わるに当っては、供給サイドでは農家への補助金の加算支援があり、これで生産が一気に加速し、「数量」と「安定」を求める大型需要からの期待にも応えられるようになりました。一方、需要サイドでは本格的に栽培が始まると、製パンだけではなく製麺も含めて一気に普及が拡大しました。

そこで、「予感」は、ついに「確信」へと変わったのです。

今では国内産小麦栽培の歴史上、信じられないことですが、新規な超強力ブレンド用という用途にも関わらず、今では需要と供給の逆ミスマッチ(足らないかもしれない)になるという現象を生むに至ったのです。

(つづく)

補足)山内宏昭氏は現在、帯広畜産大学所属。西尾善太氏は現在、東京農業大学所属

【資料提供】
(一社)日本パン技術研究所 原田昌博

 

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